人間は考える“葦”なりや?
「人間は考える葦である」
偉人の名言・格言などのコラムには確実に載っているであろうこれは、気圧の記号Paの元にもなったフランスの
後に「パンセ」として編纂、刊行されることになるこの遺稿には、「人間は一茎の葦にすぎず、自然の中で最も弱いものである。しかし、考える葦である」と記されていたようだ。
パスカルはこの言葉によって、自然における人間のひ弱さと、人間にのみ許された思考の素晴らしさを説こうとしたようだが、はてさて、人間は自然界においてひ弱...なんだろうか...?
現生人類が誕生したのは約20〜10年前とされている。当時の地球ではオオツノジカやケサイ、マンモスなどの大型動物種が繁栄していたが、人類の生息地域拡大につれてその数を減らしていった。
銃火器もない、化学兵器もない、せいぜい槍と棍棒くらいしか持たなかったであろう当時のヒトが自身らよりも何倍も体躯のある大型獣たちを絶滅させていった背景にはヒトという生物の持つスペックの高さがある。
アフリカで誕生したホモ・サピエンスは、二足歩行によって手に入れた長距離移動能力(最も長距離移動が得意な哺乳類はヒトであるとする研究者もいる)でたった数万年の間に全世界へと広がった。熱帯の赤道から極寒の極圏まで、様々な気候地帯で生活できる環境適応力の高さもヒトの特徴と言える。
世界各地へ広がった人類は優れた狩猟能力で手当たり次第に動物を捕食し始めた。
中でも特筆すべき点はその投擲能力だろう。長い腕と可動域の広い肩胛骨を手に入れた人類は「モノを投げる」技術を獲得した。
獲物である大型獣から反撃されない程度の位置まで離れて攻撃するハンティングスタイルは、当時獲物となった動物からすればかなりの脅威になっただろう。
他の動物たちを捕食対象として捩じ伏せた人類に対して、天敵として襲いかかったのは飢餓である。
人類による
基本的に、生態系において上位の捕食者になればなるほど生息数は減少する傾向にある。動物ドキュメンタリー映画で、ガゼルは沢山いるのにライオンが数匹程度しか映らないのもそのためだ。ライオンの数が増えればガゼルは食われて減り、食べ物がなくなったライオンの数は減る。こうして生態系における動物の数は保たれている。
しかし、農耕という食糧供給手段を手に入れたヒトは「少なくなったら足すだけやから」とでも言わんばかりに狩りだけでは足りない栄養分を補給できるようになった。頂点捕食者でありながら獲物となる動物の数にあまり左右されないヒトの生息数は、現在では70億人にも及んでいる。
神に問う。ヒトはひ弱な葦なりや?
勿論、否である。